物には気配がある
ペーいちです
物には気配があります。
人物がその気配を感じ取ることによってのみ、それは存在することができます。
舞台上での演技が嘘くさくなってしまう一因に、俳優が物の気配を感じないまま演技してしまっていることがあります
物には気配がある
物には気配があります。人がそれを感知することによってのみ、それはそこに存在することができます。
舞台上だけでなく、日常生活においても、同じだと思うのですが、例えば、部屋の隅に石が落ちていたとします。
物理的には、人が感知しようがしてなかろうが、それはそこにあります。
しかし人がそれを感知していなければ、それは存在しないことと同じなのです。
つまり心理的には存在していないということになります。
また、人が石を感知したとしても、「これは石だ」という情報だけで処理をしてしまうと、ただの記号となってしまい、それに対して人物がどのように感じたのかを薄めてしまうことになってしまいます。
「石」はただそこにあるだけならば「石」以上の何物でもありません。
しかし、人物がそれを持って誰かを攻撃すれば、「武器」ともなりますし、邪魔だと思えば「障害物」となります。
それを美しいと感じれば「宝石」などの価値を持ちますし、その形に何かの意味を見出すこともあります。価値のあるものだと思ったけれどやっぱり無価値なものだった。
なんてこともあります。
では舞台に目を移してみましょう。
机やいす、舞台セットなど舞台上に物理的にあるものは、「ある」だけでは、舞台空間に存在しえません。
演技者がその空間に入り込みそれらを感知することによってはじめて舞台空間に存在することができます。
舞台空間も舞台上にあるものも、そこに人物が入り込んではじめて、物理的空間、物理的存在を超えて色づき始めるのです。
舞台空間を体験すること
つまり、舞台空間も物も人物も、セリフや効果音などの音声も、演技者がそれらの気配や音声を感知することによって存在することができるのです。
感知するとは、感じること。
それがどんなものであるのか感じれば、これがなんであるのか思考が働いたり、見たものに対して心が動いたり、逆に、机など常にそこにあるのが当たり前なものにたいしては、気配のみを感じるだけでよけて歩いたりということが自然とおこなわれるようになります。
日常生活で私たちが常に体験している事柄なんです。
台本上に書いてあったり、演技しなければならないと思ってしまうから、作中の人物として体験することなしに、記号的にこなしてしまうんですね。
まずは、舞台上にあるものが、それがどのようなものであるのか。よく見て感じてみてください。
もちろん感じたものをそのまま演技にしてしまうと、うるさくて仕方がないものになってしまうこともあるので、演技に使うか使わないかの取捨選択は必要です。
まとめ
舞台上にある者には気配があり、人物がそれを感知することによってはじめて、物理的存在から脱し、舞台空間に存在することを許されます。
空間も物体もセリフも、俳優が気配なり、音声なりを感じることによって存在するのです
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